斜陽の窓辺

多くの人の目に触れると都合の悪い人生。

3年生-1

三年生になる年、引っ越して来た住所の学区内に新しい小学校が建設された。

小学校はこれで3校目だった。


クラスの男子と牛乳の早飲み対決をして鼻から噴き出したことが記憶に残っている。

なんとも子供らしい無邪気な馬鹿っぷりである。


何故かこの頃から、鼻水を垂らす子供のような頻度で鼻血を垂らしていた。

授業中、鼻水が垂れて来たので洋服の袖で拭ったら袖口が血だらけになり、ティッシュを持っていく習慣がない私はどうしたら良いか分からず、廊下の手洗い場で鼻血を垂れ流し続けた。

そこへ上級生が通りかかって、保健室へ連れて行ってくれた。

対処法が思い付かずにアホな行動をとっている私に彼女はとても優しかったんだ。


当時はまだシラミとギョウ虫検査があった。


Sさんという可愛らしい女の子がいて、その子がシラミ検査に引っかかって泣いていたのを憶えている。


そして私はギョウ虫検査に引っかかった。再検査では問題なかったが念のためと、暫くの間チョコレートの虫下しを食べていた。


全てクラスメートの前で発表されるため、Sさんは泣いてしまっていたが、私は何が悲しくて泣いているのか分からなかった。

泣くほどの問題だと思っていなかったのだ。


しかしその数年後にその子が何故そんなに泣いていたのか理解する時が来る。


無邪気で知的水準の低いアホで馬鹿な私は、この頃を境に世の中の不条理に少しずつ埋もれていく。

2年生

引っ越して来た。

多分、2年生の夏休みが終わってから別の小学校へ編入したんだ。


その小学校では何人かの小人が居るとか、理科室のホルマリン漬けの標本が動き出すとかそんな噂があって、学校全体が何だか不思議な雰囲気の記憶に塗り替えられている。


校門の前ではピンクやグリーンのカラフルなヒヨコが売りに出されていた。

このヒヨコを思い出す時、必ずセットで思い出すのが「積木くずし」のラリった女にスプレーでピンクに塗りたくられた猫だ。


「石鹸てさ、チーズの味がするんだって!」と言われた私は、家に帰ってから石鹸をカッターで切って食べてみた。

ただただ苦いだけだった。


テレビではドリフターズの「8時だョ!全員集合!」がやっていた時期だろうか。

本当に胡椒でクシャミが出るのだろうか? と思い胡椒を目の前に降り出して思いっきり吸ってみたりした。

鼻の奥がツーンとして痛くてクシャミどころではなかった。


この頃は、引っ越して知ってる人が居ないから寂しいとか、そんな事は考えていなかった。

家に帰るとお婆ちゃんがおやつを作って待っていてくれた。

学校が変わったからといって、特に混乱も戸惑いもなかった。


自分の家に起きていること、自分の人生が少し良くない方へ傾いていっていること、何も理解していなかったのだ。

無知で周りが見えず理解力のない子供だったのだ。


さて、何から始めましょうか。

45年間の何の役にも立たない膨大な記憶をここに仕舞っておこうと思っている。


失ってしまったいくつかの記憶も出来るだけ拾い集めてここに並べよう。


そしていつかここにある全ての記憶が消えて無くなるように祈ろう。


あの時、私を救おうと立ち上がってくれた誰かのために。


あの時、私を救ってくれた多くの人のために。


あの時、私の脳の組織を破壊していった人たちへ贈ろう。


私はサバイバー。