斜陽の窓辺

多くの人の目に触れると都合の悪い人生。

〜6年生-4

その日も、いつもと変わらず教室の中はどんよりと薄暗く、クラスメイトの声は遠くで微かに聞こえるようなヒソヒソとした音だった。


静まり返ったクラスに私一人立たされていた。

私の席は廊下側の前方だった。

窓側の後方には、いじめている女子の主犯数名の席が固まってあった。

みんなの目が一人立たされている私に注がれる。

緊張と恥ずかしさで顔が熱くなる。

 

いじめ主犯格の演出が派手になり過ぎたのか、私の様子がいよいよ取り返しの付かないほどイカれて見えたのか、どのような経緯を辿ってこの状況なのか分からないが、誰かの正義感が限界を迎えたのだ。

あの髭面の担任が、薄い茶色の眼鏡の奥から私を覗き込むように問い質した。

 

「お前はこいつらに虐められているのか?」

 

衝撃過ぎて意識が遠のく。

いじめている人たちはヒソヒソと話し出す。

俯いたまま何も答えられない私を見て、今度はいじめている人たちに問い出した。

 

「お前らはこいつのことを虐めているのか?」

 

いじめ主犯格の例の威張っている女子が答えた。

 

「いじめてません! 私たちは悪いところを注意してあげているだけです。悪いところが治ればみんなと仲良くなれると思います! ねぇ、ケンモツさん?!」

 

私は強烈な地獄絵図を見ていた。

こんな地獄があるだろうか?

いじめている当人を前にして「この人たちにいじめられています、助けてください」なんて、言えるわけがないだろう。

言えるくらいの勇気があるのなら、こんな状況にはなっていない。

 こんなことは「そも」中の「そも」だ。


ここでの私の選択肢は二つ。

 

一つは、いじめの事実を隠蔽し、この先ずっとこの苦しみに耐え続ける生活を送る。

 

もう一つは、ここで事実を認め、いじめを訴え逆恨みされて殺される。

 

地獄だ。

それも無間地獄だ。

 
究極の選択だったが、殺されることほど怖いものはなかった。
 
「ねっ!」と圧力を掛けてくるいじめ主犯格に、私は無理やり引き攣った笑顔を作り口を開いた。
 
「いじめられてませんわたしがわるいところをなおせるようにしてくれただけですありがとう」

息継ぎもせず、一気に吐き出した。

 

自分が殺されたくはないが為に、誰かの正義が犠牲になった。

私はあの時、本当の正義を殺してしまった。

きっとリークするには途轍もなく勇気のいったことだろう。

もしかしたら、チクった犯人探しがあったかも知れない。

 

(どうにかして助けられないものか)

(もう、いじめを見ていることが辛い)

そんな思いだったのかも知れない。

 

まだ10年ちょっとの人生経験で、これだけの勇気を振り絞っていじめを訴えた子供がいた。

その子の大切な優しくて勇気のある心を、私の弱さが踏み躙ってしまった。

これは今でも抱えている大きくて重い罪だ。

 

そして、いじめは無くならない。

 

人を殺すことが罪になっても、人を壊して時間差で死んでくれれば罪にはならない。

完全犯罪が平気な顔をして歩いている。


人は、一度で一気に壊れたりしない。

思いの外、強くできている。

しかし、表向きにはわからなくても次第に心と脳を侵食してゆく。

時間を掛けて因果関係を消しながら殺す。

何年も何十年も掛けて。

 

精神的に痛めつけられた人が抱える自律神経の乱れや拒食、過食、不眠や気力の低下による運動不足、これらが原因で病死をしたら、寧ろ殺人ではないだろうか、という極端な思考にすら疑問を抱かないほど、いじめに対するハードルと大人たちの問題意識が低すぎる。

 

子供は大人たちが想像もしないほど残酷で、自分の罪が軽くなるように策略し、躊躇なくそれを実行できる。

 

その罪の重さを知らない無知な子供の大罪は、余りにも純粋で無邪気だ。

その罠に掛かった子供もまた純粋で優しく、故にただ運が悪いだけで一生が台無しになる。

 

そしてそれは、その罪がどのような経緯を辿って人を死に追いやるかを、包み隠さず明らかにすることを避けた大人たちの罪でもある。


私はそんな中でも人として正しい道を選んだ子供を踏み躙った罪と生きている。


あなたはどんな贖罪を抱えて生きていますか。