斜陽の窓辺

多くの人の目に触れると都合の悪い人生。

〜5年生〜 -2

先週の出来事から生き延びてしまいました。



小学校には渡り廊下がある。

中庭側は窓で埋め尽くされ陽が差し込み明るい廊下である。

表側には図書室や音楽室があったような気がする。


まだ学校が地獄ではなかった時期、クラスメイトと一緒に紙飛行機を作って、この廊下で何処まで飛ばせるか競争した。

とても楽しくて紙飛行機を工夫しながら幾つも作ったことを憶えている。


地獄になった頃から、その廊下で人とすれ違う時にある行為を行っていた。

それはすれ違う相手によってやったりやらなかったり。


どこでそんなことを学んだのか、匂いがあるということは、そこに目には見えないけれど小さな小さな物質が確実に存在しているということだ。

そんな得体の知れない物質を口からダイレクトに取り入れることに抵抗があった。


そして私を虐めている人や、何やら意地悪そうな顔つきをしている人とすれ違う時に息を止めていたのだ。


そういう人の何らかの物質を自分の身体に取り込んでしまうと、同じような人間になってしまうような気がしていた。


寧ろ虐められて辛いだとか息苦しいだとかのそんな感覚は、そもそもその所為だったのではないかと思うほど、息を止めていた。


そのくせ、自分は前途のように風呂は気が向いた時にしか入らず、洗髪は気が向いた中でも気が向いた時にしか行わず、爪は伸びっぱなし、机の中にはカビだらけのコッペパンという状況。


今、どちらの空気を吸うかと問われたら、虐める人の空気を選ぶだろう。


どんなに中身が腐っていても、見た目も匂いも腐っていなければ、世間が選ぶのはこちらなのだ。

そして中身が腐っていることに気付いたとしても、「自ら腐ったんじゃない。何か可哀想な理由があって、そうなってしまったのだ。助けてあげなければ」と擁護するだろう。


外見が良いことで得をする事柄を金額に換算すると、生涯で数千万円にもなるという。


良くできた入れ物を親から与えられた人は、もっと税金を払って下さい。