斜陽の窓辺

多くの人の目に触れると都合の悪い人生。

3年生-4

小学生が習う常用漢字は、私にとってかなりのハイレベルだった。

漢字練習帳に何度も同じ漢字を書いていると、感覚が麻痺してくる。

正しく書こうとしても手が勝手に、似ているけれど違う漢字を書き出す。

この感覚が何とも気味が悪い。


勉強が苦手な私の典型的な出来事があった。

年に数回行われるテストで、国語の問題に「[様子]という漢字を使って文章を完成させなさい」というような問題があり、隣に例文も書いてあった。

例:妹の様子を見に行く

私の答え

お手伝いをしている様子◯

遊んでいる様子◯

可愛い様子✖️

髪が長い様子✖️

ピンク色が好きな様子✖️

「様子」の読み方も意味もわらない私は、例題を見て「はは〜ん、なるほど。妹の[さまこ]ちゃんを見に行ったのね。きっと[さまこ]ちゃんのことを想像して書けば良いんだ」

しかも「様子」=「ようす」と読むことができなかった私は、当然の如く「様」を「よう」とは読まず「ようこちゃん」にはならなかった。

こうして授業を受けていても、何一つその身に留まることなく流れ落ちていくような捌けの良い脳みそを育んでいた。


この頃はまだ父親が数ヶ月に一度くらいは帰って来ていただろうか。

久し振りに帰って来た父親が隣の部屋から「お〜い!いま何時だ?」と尋ねてきた。

時計の針をジーっと見つめる。

なんじ? 長い針と短い針と細い針。

どんなに見つめても答えが見つからない。

父親はいつまでも返事をしない私を見に来た。

時計をジーっと見つめたままの私。

「おまえ、時計が読めないのかっ!」

隣の部屋へ戻った父親は母に大声で怒鳴っていた。

「おいっ! こいつ時計が読めないぞ! 小学校三年生にもなって時計が読めないとはどういうことだ!」

何時か分からないということは大変なことなんだとその時に初めて知った。


ここまで来ると可愛らしい子供の頃のよくある話でもなくなってくる。

脳のどこかの機能がどうかしちゃってる子、になったのだ。